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生物にとっての環境

(私にとっての環境を考えるために)

─ダニの世界を事例として─

                    ヤーコブ・フォン・ユクスキュル、ゲオルク・クリサート

                      「生物から見た世界」より

                          日高敏隆訳 

                       思索社 昭和631988)、昭和4819731934

 

はじめに

 ユクスキュルは、生物の行動を外界からの刺激に対する単なる因果的な物理的反応と見なすのではなく、一定の環境の中での行動と見なすように考え方を提示した最初の人である。彼によれば、およそ生物は独自の「機能環」を形成しながら、その種に固有な「環境世界(Umwelt)」をもち、そのうちで生きているのである。

 

1.生理学的観点(動物機械的観点)と生物学的観点

 あるダニの一生を取り上げてみる。茂みの枝などについていて、人間であろうと動物であろうと、とにかく獲物が通りかかるのを待ち伏せ、その上に落下して、生き血を腹いっぱいちょうだいするのである。この虫は、1〜2ミリメートル位の大きさであるが、血を吸うとエンドウ豆位の大きさにふくれあがる。

 

卵からはい出した幼虫は、足が一対と生殖器が足りない。この幼虫は、草の茎などの先端にとまって、トカゲのような冷血動物を待ち伏せ、これを襲う。

 数回の脱皮をした後で、不足していた器官ができあがる。今度はいよいよ温血動物を狙うことになる。

雌は交尾をすませると、その生えそろった八本の足を用いて、灌木の突出した枝先によじ登る。(全身の光感覚と足を使って)そして、適当な高さから、下を走りすぎてゆく比較的小さなほ乳類の上に落ちる。

あとはただ触覚の助けを借りて、できるだけ毛の少ない個所を探し出し、獲物の皮膚の中へ頭まで突っ込めばよいのである。そして温かい血液の流れをゆっくりと体内に吸いこむ。

たらふく吸いこむ血のごちそうは、ダニに取っては同時に彼女の最後の食事である。というのは、そのあと彼女に残されたことは、ただ地面に落ちて卵を産み、そして最後に死ぬことだけだからである。

   

◆ダニを機械だと考える生理学的観点

 ダニは、なんも考えずに、本能のままに機械のようなメカニズムによって行動し、その一生を終える。そのメカニズムは次のように説明される。

反射

 反射とは、本来、鏡が光線を受けてこれを投げ返すことを意味するが、これを生物に応用すると、外部の刺激を受容器で受け取り、この刺激に対して実行器で行う反応、これを反射だと理解する。そのさい、刺激は神経興奮に変えられ、それが多くの中継点を経て、受容器から実行器に達する。そのさいに通過する道すじが反射弓と呼ばれる。図で表すと、

図 反射弓

となる。

 感覚的興奮をひきおこす感覚性神経細胞と、運動のインパルスをひきおこす運動性神経細胞とは、ただ連絡部として、つまり外的な衝撃が受け取られたとき、受容器によって神経内におこされたまったく肉体的な興奮の波を、実行器である筋肉に伝えるための連絡部として役立つに過ぎない。反射弓全体は、あらゆる機械と同じく運動を伝達しながら働くのである。

 反射弓での流れ:受容器→感覚性神経細胞→運動性神経細胞→実行器

 

◆生物学的観点

 今述べたような生理学的説明に対して、いやそうではない。生物の部分は、部品(客体)ではなく、機械を運転する機関士(主体)であり、刺激はというものは、主体によって知覚されるべきものであり、けっして対象には現れないものであるという生物学的説明の仕方がある。

 反射弓の一つ一つの細胞は、すべて運動の伝達によってではなく、刺激の伝達によって働いている。刺激とは、主体により知覚されるべきもの解釈されるべきもの)であり、対象には現れないものである。

 

2.ダニの行動の生物学的詳細

 ダニの感覚機能

@八本の足

A目がない。その代わりに全身光感覚。

B耳もないが、嗅覚:酪酸:知覚標識。

C温度感覚

D触覚

1.ほ乳類の皮膚腺は、第一の環の知覚標識(メルクマール)の担い手

2.酪酸の刺激は、知覚器官の中で、特異的な知覚信号を触発(原訳:解発)し、それをB嗅覚標識として外界に移される。

3.知覚器官の中のこの出来事は、誘導によって作用器官の中に適当なインパンルスを生じさせ、それが@足をはなして落下することを引き起こす。

4.落下したダニは、突き当たったほ乳類の毛に、D衝突という作用標識を与える。

5.その標識は、ダニの側にD接触(触角)という知覚標識を触発する。

6.この新しい知覚標識は、はいまわるという行為@を触発し、その結果ついにダニは毛のないところにたどり着く。

7.この知覚標識は、暖かいCという知覚標識にとって代わられ、それに続いて穴をあけるという行為Fが始まり、味覚がないが、E液体が適当な温度であれば吸い込む(最後の晩餐)。血を吸った後は、地面に落ちて卵を産んで死ぬ。

8.おのおのの作用標識は、知覚標識を拭い去る。

 

 生物・動物を単なる客体(物・部品の集まり)としてではなく、

知覚の行為

作用の行為

をその本質的な活動として保持するものを主体と見なす。9

 主体が知覚するすべての物がその知覚世界となり、主体が行う作用のすべてがその作用世界となる。知覚世界作用世界が共同で一つのまとまりある統一体、つまり環境世界を作り上げるのである。

 一つのグループの知覚細胞が担当する知覚標識は、知覚器官の外部、いや生物体の外部において統一されてまとまった単位となり、それが生物主体の外に存在する対象の特性となる。

 生きた主体が存在しなければ、いかなる時間・空間も存在しない。

 図でまとめると、

図 生物の「機能環」

 

 

生物の環境世界

 生物の環境世界は、その周囲に広がって見える環境の単なる一片に過ぎない。

そして、この環境というものは、われわれ自身の、つまり人間の環境世界に他ならない。

 

3.運動の伝達と刺激の伝達

運動の伝達

機械としての鐘:左右に振られる場合のみ答える。

刺激の伝達

生物の筋肉:あらゆる外的干渉(熱・寒さ・アルカリ・電熱)などに対し収縮をもつて答える。

我々の視神経:すべての外的作用は、光波であれ、圧力であれ、また電流であれ、すべて光の感覚を呼び起こす。

 

具体例1 運動の伝達

 

 

 

 

 

 

具体例2 刺激の伝達

静かに!

 

鳴れ!

 

4.種々の生物の環境世界と環境

「環境(Umgebung:ドイツ語)」

「環境世界(Umwelt:ドイツ語)」

「環境」の中に、その一部として、ダニ(主体)にとっての「環境世界」があり、ダニ(主体)の行為によって有意味となるものが、その主体(ここでは、ダニ)の環境世界である。つまり、環境一般というものはなく、我々が、「環境」と呼んでいるもののうち、ダニにとっては、その一部のみが、有意味であり、それを、ユクスキュルは「環境世界」と呼んでいます。

 そうすると、我々がダニの環境世界を見ているように、誰かが我々の環境世界を見ていることはないのでしょうか。我々がより良い環境を構築しようとする営みは、あたかもダニが木の枝でじっと待つことに似て、それを見ている誰かにとっては、些細なことであり、丸でも四角でも六角形でも大した違いはないということなのでしょうか。我々が、考え、信じて行うことに意味があまりないという悲観主義(ペシミズム)に陥る道しか残されていないのでしょうか。

 シェーラーによると、生物が「環境」に縛られている(「環境緊縛性」)のに対し、人間は「環境」に縛られず、むしろ開かれた「世界」に自由な態度がとれると考え、このような事態を「世界開在性(Weltoffenheit)」と呼んだ(『宇宙における人間の地位』1928年)

 人間以外の主体と、その環境世界の事物との関係が演じられる時間や空間と、我々人間と人間世界の事物との間をつなぐ関係が展開される空間と時間とが、まったく同一のものであるとする妄想にふけることが簡単に行われている。

 さらにこの妄想は、世界というものはただ一つしか存在しないもので、その中にあらゆる生物主体が一様にはめこまれているという信仰によって培われている。ここからすべての生物に対して、ただ一つの空間と時間しか存在しないはずだという、ごく一般的な確信が生まれてくる。それが間違いであるとユクスキュルによれば言えることになる。




ゾウリムシは、どこかで何らかの刺激を受けると、逃避運動をおこす。まず後方へ退き、次に向きを変え、さらに前進運動を始める。このようにして障害物は遠ざけられる。この場合、同一の知覚標識は、つねに同一の作用標識によって消去される。

ただ一つだけゾウリムシに刺激を与えないもの、つまり餌である腐敗バクテリアにゆき当たったときに、はじめて静止する。この事実はわれわれに、自然がただ一つの機能環を用いて生命をいかに目的的に作り上げることができるかを示すものである。


イタヤガイにとって、敵であるヒトデがじっとしている限り何らの影響もないが、それが動き出すと知覚標識として現れる。


ウニは、水平線が暗くなるたびに、とげを動かしてこれに反応する。雲、船、本当の敵である魚に対しても行われる。


コクマルガラスは、バッタが動き出すとぱくっと食いつく。


ミミズは、木の葉をその形によって区別して取り扱うが、葉の先と元との区別は、その味で区別をしている。形の知覚標識を作り上げるには、知覚器官がまだあまりにも単純に構造である。


開いた花とつぼみが交錯する野原の中で、ミツバチは、花の十字形、星形のものに好んでとまり、閉じた形のもの、すなわち円形や正方形のものは避ける。


ひよこがぴいぴい鳴くと、親鳥はそのほうに駆けつけるが、姿だけでは、駆けつけない。


図 異種生物間の対象群の意味の相違

 

 

図 種々の生物の環境と環境世界の相違

 

カシワの木が客体として示しているこれらの矛盾する性質をまとめて考えてみると、それはカオスとしか言いようがないであろう。そしてこれらすべての性質は、これらの環境世界のすべてを担い、かつ守っていて、しかもなおこれらさまざまな環境世界の主体が認知してもおらず、認知することもできない一つの確固として自立した主体の一部にすぎないのである。