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京都市「新景観政策」への批判-3 現場不在感覚

新景観政策、過去に向かって時を超え

 生活は、刻一刻と経過していくのですが、新景観政策は、大所高所から、まるで時の終わり、または時の始めから見ているかのように、生活現場の感覚から遠い。

 目的地のないツアー(「ビジョンなき迷走」)に出発した京都市の勇気はどこから来るのでしょうか。一つは、「優れた景観の変容」がもたらす切迫感と「建都以来、1200年を超える悠久の歴史」の自負でしょうか。  
 審議会委員の方の一人により、景観に関する総合的な捉え方の重要性は最終答申では繰り返し述べていることが強調されています。しかし、その部分は、無視されて景観規制を目的とするものに変容しています(*1)。  
 諮問は、政策化を想定しているので、いゆる「お題目的なこと」と見なされると、政策条文にはなじまないので、せいぜい3行ぐらいにまとめられることは、経験のある学識経験者には予想の範囲内のはずです。
 京都の景観破壊が、景観政策の失敗から来ているならば、景観政策立案の仕方から再考する必要があります。諮問・答申という形式で京都の景観政策に参画することは、今までそうしてきたという、過去向きの考え方を採用しています。
 環境性・多様性の時代に景観に取り組むためには、21世紀型の物事の進め方を採らねばなりません。その一つが、「バックキャスティング」という考え方です。先ず、全体像を示して、それがOKとなれば、じゃあそこに到達するには、どのような政策・方策が適切かということを考えることです(*2)。それに対して、現状はこうであるから、ああしてみたらという考え方、例えば、高さ規制をしてみたが、景観の改善は見られないので、もう少し高さを低めてみたら と考えることは、持続不可能な20世紀型の考え方です(「フォキャスティング」と呼べます)。最終答申(pdf)は、景観の全体絵図を示していないことから、少なくとも、時を未来に向かって超える21世紀型の考え方が採られていないと思われます。
 ローマクラブの「成長の限界」レポート(昭和47・1972年)は環境の時代にふさわしい、時代の趨勢を科学的に見極める作業を先行させています。このような科学的な方法を取り入れずに、個々人のフィーリングや想いの寄せ集めに基づくだけの最終答申(pdf)は、あまりにも素朴で、部分的であり、偏りが生じることになります。(*3)
 環境の時代の「成長の限界」から学ぶことは、人為のあらゆることの「限界」を見定めねばならないことです。かつて川を汚し、海を汚し、大気を汚してきたのは、「自然」には限界がないと考えていたからです。景観・景観政策等々の限界を念頭に置かねばなりません。

(*1) 門内輝行「時を超え光り輝く京都の景観づくりの政策展望」/『都市研究・京都』20号、京都市総合企画局政策推進室政策企画課、pp16-29、2007.3.( アクセス:2008/4/19) 

(*2) 新川達郎「京都の都市政策」/『都市研究・京都』20号、京都市総合企画局政策推進室政策企画課、2007.3. アクセス:2008/4/19)

(*3) 部分の寄せ集めである集合的・集積的全体と統一的全体とは意味や働きが異なることと考えます。

京都の景観図 過去・現在

 平安建都の頃の景観を、仮にも体感するには、平安京域を1000分の1の縮尺で復元した模型の前に立つことが好都合です。今通ってきた玄関前の床の模様が、往時の建物の柱穴であり、その位置を模型で確認すると、1200年前へタイムスリップすることが、やりやすいかもしれません。

80KB 平安京復元模型(1000分の1縮尺)の田の字部分(平成6・1994年)平安京400年間の集積 東西11メートル、南北10メートル、季節は初夏に設定
図-2 平安京域400年の初夏の復元模型(京都アスニー1階に展示 2007年9月8日現在)

高い建物は、岡崎法勝寺の八角九重塔と西寺、東寺の五重塔ぐらいで、それよりも碁盤目状の整然とした道路パターンが目を引きます。

 この整然とした道路パターンは、近世秀吉の頃に、要所要所で壊されます。下の写真は、三条堺町の交差点の写真です。道路際の歩道用舗装パターンに御注目!。

54KB 京都市三条高倉交差点の道路パターン、角に京都文化会館がある。撮影2007年9月2日
図-3 三条通高倉通の交差点(2007年9月8日撮影)

上の写真で道路が交差点で、ずれていることが分かります。さらに一筋前に進み、東洞院通りとの交差点で、今度は右にずらされています。つまり、一直線に進めないように、道路が作り変えられています。田の字地区を歩かれると、方々でこのような作為がなされていることを見いだすでしょう。このずれは、例えば三条通りから高倉通りを南に下がるとさらに、大きく、建物で行き止まりかと思って近づくと屈曲して続いています。通りなのに、視線が通らないのです。平安京以来の景観の「無秩序な変容」の例です。

このような変容を洛中洛外図(上杉本)に探すと、例えば、下の図-4の部分に見られます。

54KB 洛中洛外図上杉本の町家。道路のずれが見られる。
図-4 洛中洛外図(上杉本)一部(出典:米沢上杉文化振興財団「国宝上杉本洛中洛外図屏風」米沢市上杉博物館、2001、2007より)

左右に並ぶ町屋の列に対し、上下の方向の町屋の列は、十字路でずれて描かれています。この洛中洛外図は、信長が、天正2・1574年に上杉謙信に送ったものなので、平安時代の景観は、戦国時代に、すでに変容し始めているようです。応仁文明の大乱後、室町幕府は、市街地復興の過程で、道路幅員を平安京の姿に戻そうとしていたそうですが、秀吉は、天正15・1587年洛中検地を行い、平安京条坊制とは異なる幅員を定め、平安時代以来800年続いた平安京を破壊しつつ、その頃の住民の住みこなしの工夫を新しい秩序として取り入れています。生活感覚が入れられているのです。(*4)

 平安時代から近世にかけて、街の景観的骨格に、一つの断絶があり、「隣接地区や遠方からの眺めに配慮されていない」ことが生じているにもかかわらず、最終答申(pdf)は、「1200年を超える悠久」という語句で自己暗示にかかり、あたかも直線的・連続的に「優れた景観」が積み重ねられてきたと錯覚したままでまとめられている恐れがあります。

(*4) 高橋康夫・中川理「京・まちづくり史」、昭和堂、2003、7~14頁

この頁のテーマ

このテーマは、新景観政策の根拠となる「時を超え光り輝く京都の景観づくり審議会 最終答申 平成18年11月」(本文A4サイズ36頁、最終答申PDF入手頁 アクセス:2008/4/17)のあまりの粗雑さにビックリし、典型例として「不適格マンション」(「京都マンション管理組合懇談会」WEB頁(「不適格マンション管理組合懇談会」を2008/9/1に改称))を取り上げて展開しています。

この新景観政策に関わる京都市の動きは、 「京都市情報館」WEB頁の検索欄 に、"時を超え光り輝く京都の景観づくり審議会"と入れるとまとまって出てくる。(アクセス:2008/4/17)

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